[感想]ライプツィヒ西地区

November 12th, 2012 | Tags:

ミュラー氏とリンデナウ地区

午前中は歴史家ミュラー氏のお話しをお聞きしました。ミュラー氏は、もともとは壁をつくる職人で、現在はリンデナウ地区のまちづくりに関するものと学校と2つのボランティア団体に所属して活動しています。 彼が活動するリンデナウ地区は、ライプツィヒ中心街から西に位置しています。中心街との間は大きな森が隔てていて、雨で向かえない人のための宿場になったことが街の始まりだそうです。のちに大きな工場もでき、一時はライプツィヒから独立して1つの市になる可能性もあったそうですが、19世紀の同地区の勢いからライプツィヒよりも大きな市になるおそれがあったため市に反対され、1地区のままとされました。

ナタナエル教会

リンデナウ地区にある4つの教会のうちの1つ。旧東ドイツでは教会が力を持たなかったため、補修する費用もなく、出来る限りの補修で保たれていたそうです。東西ドイツ統一後は西ドイツから棲み処へ戻ってきた男が再生の中心になりました、雨漏りをしていたためまずその場所を直し、そのほかも順々に直していきました。その過程で彼は塔の時計を直そうとしましたが、これには「外観が大きく変わってしまう」と市民から反対意見が出ました。しかし彼は時が確実に進んでいることの象徴にしたかったため、最終的には改修を行ったそうです。

ロースマルクト通りの中庭

共有庭のある通りはもともと12世帯が住んでいましたが、その後住人が移転して、4世帯のみ住むようになってしまいました。そのため共有庭をもうけたアパート群が作られ、入居予定の家族が自由にプランを考えることができるシステムであったといいます。例えば1家族はこども部屋にドアが必要ないと考え、壁に穴だけあけて出入り口に替えていたそうです。  共有庭が出来た後、多くの人がその場所を訪れ、ここに住むにはどうしたらいいか訊いてくる家族もいたそうです。しかし家はもう空いていなかったため、彼らは住むことはできませんでした。この時こんな場所や庭を他にも作りたいと思ったことがミュラー氏の地域ボランティア団体の出発点だったといいます。

(脇本菜津美)

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ヨーゼフ通りと隣人の庭

ここは、街区の連続するファサードを形成する建物が歯抜け状態になっているところが多い地区の一角にある。隣人の庭のすぐ近くには、幼稚園が建設中だったが、この建物もミュラー氏が提案である。治安の悪かったこの地域に幼稚園をつくることで、若いファミリーを周辺に引きつけ、ここを地域のミーティングスペースとすることで地域を再生させる提案で市を説得したのである。もともとそのアイディアをミュラー氏はずっと温めていたという。そこからすぐ近くにあったこの場所も、もともとのブロックのファサードを形成していた建物はなくなり、中庭にあった小さめの建物が緑に囲まれて立っている。一見しただけでは通りすぎてしまうような感じの佇まいである。

隣人の庭のプロジェクトは、ミュラー氏が住民たちと作り上げたプロジェクトである。現在、その建物は、木工所と自転車屋が入っている他、新たに藁で出来た小屋も利用者と一緒に作ったそうである。これにはちょっとした秘密が隠されており、藁で作ったのは、還そうと思えばすぐに土に還る点が過渡的利用に適しているからである。また建設費用は、€5000で、これは生活保護を受ける人の年収くらいでつくることを意図したという。つまり、そうした人も、このような建物に住めることを示したかったとミュラー氏。建物も家くらいなら作ろうと思えば素人の手でもお金をかけずに作れてしまうのである。ここを含め、ミュラー氏の関わるプロジェクトには、こうしたヒューマンでクレバーなアイディアが随所にちりばめられている。

またこの土地の一角には、豚や鶏を飼育するスペースが存在する。いわば都市農業ならぬ都市畜産業だろうか。飼育小屋の見た目は一般人の日曜大工の域を出ない程度の構築物だが、手入れは行き届いていて、嫌なにおいは一切せず、とても清潔だった。自分のたちの庭を管理する過程で、自然サイクルと、地域の自治、民主主義を学び、実践する場となっているのだと感じる。

こうしたプロジェクトの数々を見ていると、都市にはこうした人々の創造性を発露する場としての空間が必要なのだと思えてくる。それは大きくなくて構わない、ひとりひとりのスペースの必要もない、むしろ見過ごしてしまうようなポケット的共用空間であることがキーワードであるように思えてくる。

常に自分の周りの環境に関心を持ち、思考を巡らし、自分の持つ人脈や持てる範囲の技術を総動員し、実際に手を動かし形に行くこと — もともとは私たちもやっていたけど、忘れてしまったことが、ここでは着々と現在進行形で存在する。東ドイツ、壁崩壊後の人口流出という時代を乗り越えた人々が今結束力をもって自らの手で自分たちの住む場所を変えようとする気概のようなものすら感じられる。それを可能とすること、すなわちこうした市民の自治や民主的活動を許容する都市の隙間(実際の3次元の空間)を担保することは、都市の成熟度に関わらず、都市の必須要素となると考えさせられた。


アーバンガーデン・アナリンデ

現在、アーバンアグリカルチャーの舞台となっているその土地は、1年前までは市所有の打ち捨てられた土地だった。今回ここを案内してくれた彼を含む4人が市からこの土地を借りこの都市農業のプロジェクトを始めた。彼は、ガーデナーで、今現在はこれが’仕事’だそうだが、このプロジェクトから得られる収入は低いため、「社会福祉の恩恵を受けて生活している」とのことだった。彼らは、ここで収穫された野菜を売ったり、バンのカフェが売り上げが収入になっている。ここが借りている土地であるため、もしこの土地に買い手がついた場合、撤収しなければならないため、簡単に移動できるよう野菜は全てコンテイナーで育てるよう工夫されていた。この方法は東側の庭でも実践されていた。しかし、こうした野菜たちが箱や袋の中に入れられ並ぶ様子は、野菜がインテリアと化し、ある種カジュアルでおしゃれな雰囲気すらをこの場所に与えているように感じられた。彼は、こうしたプロジェクトを別の土地でもやりたいと前向きで、さらに印象に残ったのは、彼は「都市はこれまで消費しかして来なかったけれど、こうすることで、生産する過程が加わり、都市の中にサイクルが生まれる」と話し、サステイナビリティを意識し行っていることであった。

(前川英梨子)

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西部自由行動

Kaffee Schwarzでの昼食の後、ミンクスさんが色々と案内してくれるとのことで自転車にのってGeprg schwarz strabeを下り都市の中に突然現れた牧場のような場所の羊達を横目に、最初はアーティスト達や建築事務所がシェアするスタジオのような場所(タペーテンヴェルク)を訪れました。ここは工場をコンバージョンしていて、使われていたときのバルブや配管などはそのままに空間を蘇らせていました。

次はSpinnerelを見学しにいきました。こちらも工業化の時代の紡績工場のコンバージョンで広い敷地に沢山のスタジオやギャラリーが連ねていました。どちらの事例も工場特有の気積のある空間がのびのびとしたスタジオやギャラリースペースに、荒々しいテクスチャーが白い壁で作られたスペースの対比を際立たせていました。

(丸山亮介)



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