ライプツィヒ市は、産業革命以降人口が急増し、一次大戦頃には人口が70万人を超え、ドイツ帝国内でも有数の商業・工業都市でした。しかし戦後、東ドイツ時代を通じて人口が減少を始め、89年の東西ドイツ統一が引き金となって競争力の無い基幹産業が一気に衰退し、人口は50万人弱にまで減少します。その結果、市内に多数の空き家、空き地、工場跡地などが点在する、代表的な「縮小都市」と呼ばれるようになりました。市は2000年代に入ったころから、それまでの拡大成長を前提とした都市計画を見直し、「縮小」を受け入れた都市計画を打ち出したことで、衰退地域の再生に成果を生んできました。ライプツィヒの「縮小都市計画」は、同じく縮小に直面している日本をはじめ、多くの都市から注目を浴びています。
この先進的な都市計画の成功の背景には、地域住民の生活空間を取り戻す運動がありました。衰退に喘いでいた地域では2000年ごろから子供の遊び場やコミュニティガーデンなどが次々と立ち上げられ、地域コミュニティの再生と住環境の向上に寄与して来ました。住民たちの自由な活動を可能にしているのは、縮小によって生まれた空き家や空き地のような空間です。「日本の家」の立ち上げが可能だったのも、ライプツィヒに安く使える空き家というリソースが存在し、かつオーナーと利用者を媒介する「ハウスハルテン」というプログラムがあったお陰でした。空き家や空き地自体はネガティブに捉えられることが多いですが、都市的な視点でそれらを見た時、用途の定まっていない空間的余裕=「間」という特徴が浮かび上がってきます。都市の「間」は住民たちの自由な活動を可能にし、夢を実現させるインフラストラクチャーとなり、市民の誇りでもある「ライプツィヒの自由」を支えているのです。
「都市の『間』は、住民の生活と都市のサスティナビリティのために必要な一つの重要な要素である」という仮説を持ちつつ、「日本の家」では都市の「間」をテーマとしたワークショップを、2012年から継続的に行なっています。空き家・空き地再生の現場で活動する日本とドイツの研究者、建築家、アクティビスト、行政マン、学生などをお招きし、シンポジウムや提案・空間づくりを通じて両国のグラスルーツレベルでの交流を目指しています。
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