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■実施場所
・小倉城(都市中心部の大きな「間」)
小倉城は細川氏が築きあげた九州地方の要塞であり、幕末には実際高杉晋作率いる奇兵隊と幕府軍の戦いの舞台ともなった戦いの歴史を持ちます。現在の小倉城は緑豊かで平和な市民の憩いの場として整備されているが、一方で本来の「城=戦いのために設計された空間」という本来の意味を消失し、空間だけが取り残された、都市中心部の大きな「間」となっています。この「間」の空間を舞台に、昔そこで行われたであろう戦いをモチーフにしたゲームを行うことで、城の根源的な空間体験を人々に与えます。 さらに、天守閣5 階に、新しい博物館のモデルとして、市民から集めたモノを展示する「市民博物陳列室・小倉ヴンダーカンマー」を実践します。
・中心市街地(城下町と商店街に点在する「間」)
小倉区中心部は城下町として計画的に作られた歴史を持ち、その構造は魚町、船場町、米町、鍛冶屋町といった地名とともに現在にも色濃く引き継がれています。また大正期に形成された旦過市場は北九州の台所と称されるほどに発展し、現在でも新鮮な食材を売る個人商店が軒を連ねており、船頭町は日本の近代化の石杖を作った労働者の街で、現在でも花街としての性格を残しています。人口流出と小売業の斜陽化によって空き店舗や空き地が目立つようになっており、その「間」の空間を活用することで城下町の空間と町人文化、その後の近代化によって生まれた都市空間を体験する場を、地元の方々の協力を得ながらつくりだします。
■小倉ヴンダーカンマー
・ヴンダーカンマーとは?
ドイツ語のWunderkammer(ヴンダーカンマー)とは、「驚異の部屋」もしくは「不思議の部屋」と訳される、15 世紀から18 世紀にかけてヨーロッパでつくられた様々な珍品を集めた博物陳列室です。15 世紀イタリアの諸侯や有力貴族によって作られ始め、16 世紀にはドイツ語圏に伝わり、王侯貴族だけでなく学者や文人の間でも作られるようになりました。自然物も人工物も珍しいものなら分野を隔てず一カ所に取り集められるのが特徴で、その収集対象も、珊瑚や石英を加工したアクセサリーや、奇想を描いた絵画、架空の動植物の標本やミイラ、巨大な巻貝、ダチョウの卵、象牙細工、錬金術の文献、異国の武具、数学や医学の道具、天球儀や地球儀、東洋の陶磁器、アンティークなど多岐に渡ります。
・小倉ヴンダーカンマーとは?
北九州市民がそれぞれに思い出のある特別な物を持ち寄り、審査事務局がキュレーションを行います。これは歴史的・文化的に「価値あるもの」を一方的に市民に呈示する、トップダウン型の展示と異なり、市民が自らの日常空間で触れ合ってきたモノを持ち寄り、個人の生活や個人史を紐解くことで小倉の歴史や文化を逆照射するという、ボトムアップ型の市民参加による展示です。多様な北九州市民の生活と都市の歴史が混ざり合った「小倉ヴンダーカンマー」は、北九州市民の生活をリアルに映し出し、新しい形の市民参加型の博物館となります。
キュレーション:フェリックス・ミンクス(建築家、ライプツィヒ在住)、マーク・ハーゼルバッハ(彫刻家、ベルリン在住)
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■ドキュメンテーション
以下のものを動画と冊子にまとめる。特にプロセスのドキュメンテーションを大事にします。
・ 芸術祭を市民とともに作り上げていくプロセス
・ 芸術祭のゲームづくりに参加した市民の心境の変化や、街に対する考え方が深まっ ていく様子
・ 芸術祭を実施する最中の、ロールプレーイング・ゲームをやっているお客さん目線
・ 芸術祭に参加した人々の日常生活の様子と、参加して感じたことなどの感想
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