今回は、都市の「間」に関連した幾つかの書籍を紹介します。
・「廃棄された場所」
―ケヴィン・リンチ『廃棄の文化誌』(原著:Wasting Away, 1990)
『都市のイメージ』で大変著名なアメリカ人都市計画家・建築家のケヴィン・リンチ。1984年に亡くなった彼の遺稿を、弟子のM.サウスワースが編集して1990年に出版したのが、『廃棄の文化誌 ―ゴミと資源のあいだ』です。 本書は、ゴミ、食料、核廃棄物、そして空間と、現代社会の様々な分野における廃棄の仕組みについて考察し、またこれらが人々に与えるイメージを探っています。そして現代社会は「いかに廃棄と上手に付き合い、モノ、人間、都市の循環を促すことができるか」という課題を背負っている、という事が一つのテーマとして語られています。
“毎日放出されるゴミ、何世代も放置されてきたコミュニティ。それは、モノの廃棄であり、場所の廃棄である。上手に廃棄してゆく方法があるだろうか?”(プロローグ)
ここで注目したい点は、本書において「廃棄された場所」について、特に多くの示唆に富む指摘がなされている事です。リンチによれば廃棄された場所とは、都市の空き家や空地、廃工場の敷地、ゴミ捨て場、河原、高架下などのインフラに付随する空間を指しています。
“廃棄された多くの場所にも、廃墟と同じように、さまざまな魅力がある。管理から解放され、行動や空想を求める自由な戯れや、さまざまな豊かな感動がある。” (p.50)
“廃棄された土地は、絶望の場所である。しかし同時に、残存生物を保護し、 新しいモノ、新しい宗教、新しい政治、生まれて間もなくか弱いものを保護する。廃棄された土地は、夢を実現する場所であり、反社会的行為の場所であ り、探検と成長の場所でもある。”(p.201)
通常、廃棄された場所とは都市の最低な場所であり、都市の衰退を表す(或いは引き起こす)場所として語られることが多いのですが、リンチは一方で”しなやかな社会に必要不可欠な要素(p.52)”という特有の役割と魅力を持っている事を指摘しています。
1960年代、『都市のイメージ』で都市計画家・建築家として、都市に「生きる側」の視点に注目したパイオニア的存在であったリンチが、最晩年に廃棄された場所に着目し、このような考察を残しているのは大変興味深いことです。未完成に終わり、理論書として成り立っているとは言えませんが、本書は都市の「間」に着目する多くの示唆を我々に与えてくれます。
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・「子どもと廃墟」
― イーフー・トゥアン『空間と経験』(原著:Space and Place, 1977)
都市の空き地やがらくた置き場は、今も昔も子供にとって絶好の遊び場です。人文地理学者のトゥアンは、大人と子供との「空間(Space)」と「場所(Place)」のとらえ方について次のような考察をしています。
“大人にとって場所というものは、長年のに渡る感性の着実な成果の結果として、深い意味を獲得する可能性を持つ。<中略> 子供の眼は、大人の目以上に現在と近未来に向けられている。いろいろな行動を通して空間を探求していく子供の生命力は、場所を意味で満たす作用をする熟考や回顧にはそぐわないのである。” (『空間の経験』p.65-66)
トゥアンによれば子供は「場所」ではなく「空間」に生きる存在です。「場所」が記憶や思い出と結びつくのに対し、「空間」は探求や未知と結びついています。よって大人にとってはいろいろな思い出がまとわりついている「場所」でも、子供たちは「実にあっけらかんとした顔をみせ」るのです。この表情は、例えば大人が顔をしかめたり過去への哀愁を感じたりと愛憎入り交じる感情をもって眺める「廃墟」という空間で、目を輝かせ生き生きと遊ぶ子供達に見つけることが出来ます。
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― ハートウッド卿夫人『都市の遊び場』(原著:Planning for Play, 1973)
アレン・オブ・ハートウッド卿婦人は、第二次大戦終結直後のロンドンについて、
“遊びを誘発するがらくたや、ものを建設する材料のたくさんある爆撃跡地の廃墟があちこちにある時代であり、子供たちはヨーロッパ中の爆撃に よる跡地で、危険ではあったが存分に遊んでいた” (ハートウッド卿夫人『都市の遊び場』)
と語っています。ハートウッド卿夫人は、英国で現在の冒険遊び場(Abenteuerspielplatz : 日本では「プレーパーク」とも呼ばれている)の取り組みを始めた人物です。「冒険遊び場」は、近代化の流れの中で遊び場が画一的に整備され、子供の遊びが制限されていくことに危機感を抱いた人々が、子供達が自分の責任で自由に遊ぶ(火遊びや廃材遊びなども含まれる)場所を確保する事を目的とした取り組みとして現在では紹介されます。しかしこのアイディアの原点には、爆撃跡地や廃墟、廃材置き場で、で子供達が自由に遊び回る風景がありました。
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・政治的空間としての都市の「間」
― 磯崎新「廃墟論」,1988
既存の社会システムに対する異議申し立ての空間として、「間」の空間が出現する事があります。建築家の磯崎新は、1960年代後半に全世界で起こった学生運動によって占拠された大学の空間を「廃墟」に見立て、次のように述べています。
“占拠されることにより権力の支配から解放されるその場が、廃墟の光景を呈していたことについて、占拠者たちはそれを如何に感じとっていたのだろうか。アジールであった。その自立した空間が、何故廃墟でなくてはならなかったのか! という問いは聞かれなかった。むしろ廃墟と化した空間の中にいるときにはじめて開放感を得ていたのが本音だとするならば、廃墟への欲望あるいは廃墟へのまなざしが、あの反エスタブリッシュメントの行為を支えていた、というべきなのかも知れない。”(磯崎新「廃墟論」)
この時代、既成権力の象徴としての大学の空間が学生たちによって占拠されることで従来の意味を喪失し、抵抗の場へと変化しました。磯崎が描き出すのはアジール=権力から自立した場所としての抽象的な意味での「廃墟」であり、その中に自由と開放感を求める人々の姿です。
現代の都市でも、スクォッター(Squatter)と呼ばれる、廃墟に住み着き、自らの手で空間を作り維持している人々がいます。特に東西統一直後の東ベルリンでは、人口が流出し大量の空き物件が町中に散らばっていました。これに目をつけたアーティストやミュージシャンの若者達が、持ち主の曖昧な物件に住み着き独自の文化を発信するようになります。ミッテ地区には現在でもスクォッターの住み着いたアパートがあります。DIYで建物を作り直し、部屋を改装し、住み着き、バー、クラブ、映画館などを運営しています。ドイツにおいて、現在のスクォッターの建物一の部は、文化的価値が公に認められ、合法化されています。
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― 篠原雅武『公共空間の政治理論』,2007
一方、現在の都市空間は、都市のブランド化、巨大資本の流入、不動産投機等によって都市空間の均質化が起こっています。若手政治学者の篠原雅武は、フランスの5月革命について考察された、60年代の社会学者アンリ・ルフェーブル等の言説を出発点に、ネオリベラル化が進む現代都市における、均質化の手が届かないところにある都市の「隙間」の空間と実践に注目しています。
“均質化過程からすれば、その隙間は片付きにくいものであり、だからこそそれに固有の理論を首尾一貫させようとするならば、除去、ないしは隠蔽といった強制力が行使される。政治活動は、この強制力に対抗し、隙間を隙間のままにしておくことのために必要とされているという事が出来よう。”
“隙間は、政治的行為の条件であって、手段ではない。隙間があるから政治的行為が可能なのである。<中略> 政治的行為があるとしたら、それはデモやバリケード建設へと展開する行為に限らず、日常的に隙間をつくろうとする実践に依拠した、よりささやかなものであっても構わない。”(『公共空間の政治理論』p.207)
篠原は、都市の「隙間」が政治的行為のプラットフォーム(=公共空間)と成りうることを指摘しつつ、その政治的行為がデモやバリケードなどの「直接的」な政治的行為である必要は無く、そこで行われる日常的な、言わば生活そのものが実践となりうると主張していると考えられます。ライプツィヒの都市の「間」における様々な具体的な活動を観察することで見えてくるものは、まさに生活空間からの実践であるという事です。このあたりに、理論と実践が重なる重要なキーが隠されているように思えてなりません。
(大谷 悠)