2011年、ライプツィヒのゲオルグシューマン通りに立ち上げられた「Magistralenmanagement Georg-Schumann-Straße」は、通り沿いの都市計画・交通計画・文化振興といった複合的な地域再生「マギストラーレマネージメント(Magistrale Management)」を行なっています。都市の「間」ワークショップのハイライトである、9月8日のゲオルグシューマン通りにおける芸術祭「Nacht der Kunst」は、「日本の家」とMagistralenmanagement GSSの協力体制によって行われます。Magistralenmanagement GSSの中心人物である若手地理学者Dirk Zinner氏にお話を伺いました。
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マギストラーレマネージメント=インテグレーションのためのプラットフォーム
―――まず最初にお聞きしたいのですが、「マギストラーレ(Magistrale)」とは何のことですか?
Zinner:マギストラーレとはもともとはドイツの言葉ではないのですが、「都市中心部から伸びている主要な幹線道路」という意味です。都市へ必要な物資を運んだり、多くの人が都市内外へ移動する、交通の大動脈です。ゲオルグシューマン通りはライプツィヒの重要なマギストラーレの一つです。 マギストラーレの特徴は、通り沿いに店や工場などの様々な集積が起こる一方、交通量の増加によって街としての魅力が失われやすい事です。
―――あなた方の活動、”Magistralenmanagement GSS”はどのように始まったのですか?
Zinner:私達のグループは市のプロポーザルで選ばれ、正式には2011年1月からマギストラーレマネージメントを行なっています。ライプツィヒ市、ザクセン州、連邦政府の3者が、大体3分の1づつ出資しています。2014年までは私達がマネージメントを行います。その後どうなるかはまだわかりません。
―――ゲオルグシューマン通りのマギストラーレマネージメントはなぜ行われることになったのですか?どのような背景があるのでしょうか。
Zinner:ライプツィヒ市は都市再生計画(Stadterneuerung)の一端としてゲオルグシューマン通りの再生に重点を置いていました。大きな目標の一つはトップダウン方式ではなく、ボトムアップ式の再生を行うことです。つまり都市計画家が何もかも決めるのではなく、通り沿いの人々と一緒にプロジェクトを進めていくということです。ゲオルグシューマン通り沿いは、多くの空き家が示す通り、大変難しい地域です。以前から市の都市再生重点地域に指定され、今まで多くの議論がありましたが、一向に状況は改善されず、地域の人々は通りの再生に疑念を抱き、あまりモチベーションも高くありませんでした。ですから地域の人々を単に「励ます」だけでなく、具体的なプロジェクトに巻き込んでいく必要がありました。通り沿いの所々に空き家がある状態は、通り沿いで店を経営する人々にとっても問題ですが、彼らが自主的に通り沿いの問題の解決策を「市の計画にそって」実行するという事はまずあり得ません。ですから彼らにが参加しやすいような、協働プロジェクトを立ち上げ、彼らに計画サイドに入ってきてもらうことが必要なのです。これがマギストラーレマネージメントの「核」です。ここから様々な実践が行われます。9月8日の「芸術の夜(Nacht der Kunst)」もその一つです。このようなプロジェクトによって、パンクスから弁護士、そしてあなた方にような日本人に至るまで、非常に多種多様な人々が知り合い、協働します。普段であれば交わりあわないグループの人々です。
―――つまり様々な人々が入ってこれるようなプラットフォームを作るということですね?
Zinner:そうですね。インテグレーションのためのプラットフォームです。
―――通常、都市再生プロジェクトというのは、「面的」、つまり都市のある地域で行われることが多いと思うのですが、マギストラーレマネージメントは「線的」ですね。
Zinner:その通りです。さらに細かく言うと、通常、ライプツィヒ市の都市再生計画は、交通空間ではなく、建築空間のみに適用されます。しかし当然、ゲオルグシューマン通りのような空間では、建築空間が交通空間によって大きな影響を受けます。二つの空間は同時にマネージメントされる必用があるのです。我々はこの事に対応するため、新しい枠組みを作るようライプツィヒ市と以前から交渉しています。
―――ライプツィヒ市の都市再生計画は、西地域、東地域、中心地域、団地地域などの8つの地域にわかれていますね。その中で、このゲオルグシューマン通りは「新しい地域(Neue Gebite)」とされています。これはどういう意味で「新しい」のですか?
Zinner:ゲオルグシューマン通りを含むライプツィヒ北部は、以前の再生計画では、他の地域と同じく「面的」な再生が試みられていて、「美しく活気ある通り沿いの都市空間を取り戻す」ことが目標として掲げられていました。しかしこの計画はあまりうまく行きませんでいた。視点を変える必要があったのです。そこでライプツィヒ市は2009年から幹線道路沿いの空間を都市再生の「新たな地域」として指定し、様々な手法を「テスト」することにしたのです。例えば、自転車道の整備や駐車場スペース、バス停の位置なども様々にテストされます。特筆すべき点は、ゲオルグシューマン通り沿いの物件で店を開きたい場合、建築空間だけでなく、店の前の交通空間も一緒にデザインできるという点です。このデザインは恒久的に決定されるのではなく、一時的なテストで、半年や一年後にまた修正することができます。例えば、ある場所に駐車スペースを作るのではなく、そこを一時駐車スペースにして、時間外は駐輪場にしたり、或いはトラムの速度によって駐車スペースを移動させて見たりと様々なテストができます。店を開く人にとって、これらの交通空間をいじれる事は非常に有効です。もうひとつのマギストラーレであるゲオルグシュヴァルツ通り(ライプツィヒ西部の幹線道路)では、道路幅が狭いために不可能な事です。
―――ゲオルグシューマン通りは、道路幅が広いだけでなく大変長いですね。
Zinner:はい。我々のマネージメントする範囲は、全長で5キロほどあります。ですので私たちは、通り沿いに幾つかの重点地域を定め、そこを中心にそれぞれの「点」におけるコンセプトを立てていきます。場所によってはほとんど空き家がない地域から、空き家だらけの地域まで様々です。その場にあった計画を立てていきます。
―――マギストラーレマネージメントはライプツィヒにおいてはじめて行われているのですか?
Zinner:はい、ドイツではライプツィヒが最初です。マギストラーレマネージメントは、ライプツィヒ市だけでなく、ザクセン州とドイツ連邦政府からの助成も受けています。この事は幹線道路沿いの問題がライプツィヒだけでなく、ドイツ中の他の都市にも存在し、そのマネージメント方法がとても注目されている事を示していると言えます。一方、「商店街マネージメント」は以前から存在しました。これは主に経済的な再生、つまり「店の売上の向上」に主眼においたものです。マギストラーレマネージメントは「都市改造」に主眼が置かれています。この時点で、マギストラーレマネージメントは非常に新しい視点だと言えます。少なくともドイツ、或いはヨーロッパにおいては。世界的にはよく知りませんが・・・
―――日本の都市には多くの商店街があり、「商店街マネージメント」も盛んですが、確かに経済的な事に主眼が置かれていることが多いです。
Zinner: クラシックな手法ですね。マギストラーレマネージメントでは、建築の改造、つまりリノベーションや建築保全、空間計画、経済的取り組み、そして社会文化的な取り組みが大変重要なポイントとなっています。多様なグループの人々の協働を促し、人々の社会的な活動をサポートすることです。通り沿いには、HausHalten(ライプツィヒの空き家を借りたいグループに仲介する団体)、市民協会(日本の町内会に類似する団体)をはじめ、大変多くの多様な団体が存在します。彼らを結びつけるのが、我々の非常に重要な役割です。「日本の家」の活動も地域にとって非常に重要です。空き家として放置されていたChausseehaus(日本の家がある建物)の存在を人々に認知させ、多くのイベントによって建物と地域の可能性を示しました。今ではあなた方の後にに入りたいという人々が少なくとも4グループは居ます。これこそが地域再生の第一歩なのです。
――― そう言って貰えると嬉しいです。ライプツィヒ市は全体で見ると人口は増えていますね。その意味では純粋な「縮小都市」ではない。ライプツィヒの都市再生計画は新しい段階に入ったと言えますか?
Zinner: ライプツィヒとドレスデン、このふたつの都市は現時点でザクセン州内で人口が増加している都市です。ライプツィヒの人口は、私が大学で勉強を始めた頃(2000年前後)は49万人強でしたが、現在では50万人を超えています。目下の問題は都市内の格差です。例えば団地地域であるGrünauは今でも縮小しています。或いは都市の表面積は今でも縮小している、といえるでしょう。つまり都市の”際”にある空間が非・都市化しつつあるという事です。一方で中心市街地を始め、都市内部は人口が増えています。
―――私自身も感じていることですが、西側のリンデナウ(Lindenau)やプラクヴィッツ(Plagwitz)は若者が集って店を出し始め、「ヒップ」なエリアになりつつありますが、団地地域のグリュナウ(Grünau)や北部地域、東部地域の一部などはまだ難しい状況ですよね?
Zinner: そうですね。この事はしかしライプツィヒに限った話ではなく、大きな都市ではどこでも起こることです。それぞれの地域にはそれぞれのキャラクターがあります。例えばライプツィヒ東地域は西地域とは全く異なるキャラクターを持っていて、独自の発展の形を模索しています。ゲオルグシューマン通りの位置している北部地域もまた独自のキャラクターを持っています。良く言えば「落ち着いている」悪く言えば「保守的」というのもキャラクターのひとつです。多くの高齢者が住んでいて、西側のようなアクティブさを求めるのは難しいです。マネージメントをする我々にとっても、実は安易に「若いアクティブな人を呼び込みましょう」と言うのはリスクがあります。もちろん地元の人々だけでは何も起こらないのですが、20年間この地域にに住んでいた人にとっては、アクティブな若者に面食らってしまうこともあります。それぞれの地域のキャラクターを尊重したそれぞれの発展の仕方があるはずです。
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若手地理学者たちの”現場”志向
―――あなたを含め、ライプツィヒではたくさんの若い地理学を学んだ人々がこのような都市再生に関わるプロジェクトを自ら立ち上げています。Magistralenmanagement GSSの主要メンバーも、地理学を学んだ方々ですね。 ここにはどのようなモチベーションがあるのでしょうか。なぜあなた方の世代(70年代後半に生まれた世代で、現在30歳半ば)が特に積極的に活動しているのですか?
Zinner: 私が考えるに、私達の世代はライプツィヒで自らの手で都市再生のプロジェクトを立ち上げることが可能になった最初の世代だと思います。まず、ライプツィヒの地理学に関わる研究機関は、東ドイツ時代の60年代に一度閉鎖されていて、東西統一後に再開されました。再開後しばらくは、地理学を学んだ者にとって、ライプツィヒを実践の場とするのは大変難しかったのです。90年代のライプツィヒはとにかく経済状況がひどく、社会的にも混乱していましたから、まだ都市再生を考える段階ではありませんでした。彼らはベルリンや西ドイツへ移り、そこを実践の場にしていったのです。ライプツィヒの状況が安定してきた我々の世代になってはじめて、ライプツィヒを実践の場として選ぶことが出来るようになったのです。
―――あなたが学生だった頃、地理学の教授陣はこのような都市再生プロジェクトに興味を持っていたのですか?
Zinner:全く持っていませんでした。教授陣は非常に学際的志向が強かったので。
―――ではつまり、あなたがたの世代は都市再生プロジェクトのノウハウを独学で発展させていったわけですね?
Zinner: そうですね。大学では大変自由に自主的なプロジェクトを立ち上げることが出来ましたし、実際多くの学生がやっていました。教授陣には理論や知識はありますが、現場の事は知りません。我々は現場のことを、実際にプロジェクトを動かしながら学んでいったのです。今年で10年目になるGeo Werkstatt e.V.もその内の一つです。地理学という学問は経済、社会、空間の全てにまたがる分野ですので、現場でできることの幅もまた大きいです。経済に興味を持った人は、現場で予算や助成金について担当しますし、空間に興味を持った人は空間計画や建築について担当します。
―――理論だけでなく、「現場で地域の人々と共に実践すること」があなた或いはあなたの世代の地理学者にとって興味のある、重要なポイントなのですね?
Zinner: そうだと思います。少なくとも私にとっては事務所でずっと書類と向き合う仕事や、データをいじるだけの仕事はとても退屈です。これは従来の地理学者の志向ではないですが、現在の若い地理学者の多くは実践プロジェクトに大変積極的です。しかしながら、このようなマネージメントは本当に骨の折れる仕事です。人々の様々な期待と思惑が交錯する一方で、具体的に何を実行するかというコンセンサスはなかなか出てきません。とりあえずファサードを直しておしまい、という事にもなりかねません。あるいは誰かが政治力をつかえば大きなプロジェクトを実行出来るかも知れませんが、出てくるものがどうしようもなくデタラメであることが多々あります。こういう事は今後ゲオルグシューマン通りでも起こりえる事ですので、注意しなくてはなりません。
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都市の「間」の活用(Zwischennutzung)に関する国際的なプラットフォームを目指す
―――最後の質問です。今回の「日独空き家再生ワークショップ ―都市の”間”」に何を期待していますか?
Zinner: 私個人の意見を言う前に、マギストラーレ評議会(地域住民で構成された、地域振興の予算決定の権限をもつ議会)で話し合われた事を紹介しましょう。彼らは、まず地域住民が自分たちの地域に興味をもつきっかけになる事を期待しています。また、きちんとしたドキュメンテーションを作ることを強く奨めています。このようなプロジェクトがアイディアだけで終わるものでなく、実際の空間で実現でき、また地域にとって意味のあるものである事を示すためです。そしてどのように実現するのかというプロセスを示すことも重要です。
私個人のとしては、ちょっと大きな夢ですが、このような取り組みによってゲオルグシューマン通りが、ドイツ、ヨーロッパ、そしてインターナショナルな、都市の「間」の活用(Zwischennutzung)に関する情報交換のプラットフォームになることを期待しています。ゲオルグシューマン通りには空き家、空地が多くありますので、考えたり実践するプラットフォームとして大変適しています。今回のワークショップをきっかけとして、今後も定期的にシンポジウムや空間づくりワークショップが根付いていけばと思っています。
―――いいですね!今回のワークショップがそのようなプラットフォームになるきっかけとなったら、我々も大変嬉しいです。今日はどうもありがとうございました。–
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Dirk Zinner氏プロフィール
2007年ライプツィヒ大学地理学科卒業(Diplom-Geograph)。在学中よりライプツィヒ市内ツアーを企画するTreffpunkt Leipzigや、地理学に関するワークショップ、出版、シンポジウムなどを行うGeo Werkstatt e.V.に所属。大学卒業後はライプツィヒ市の都市計画局に勤務。主にライプツィヒ郊外の住宅、褐炭地域のマネージメントを担当。2010年都市計画マネージメント事務所「Tri Polis」を仲間とともに立ち上げ独立。2011年1月ライプツィヒ市から「Magistralenmanagement Georg-Schumann-Straße」の業務委託を受け、現在に至る。
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聞き手・翻訳:大谷 悠(日本の家)/括弧内は大谷の補足
インタビュー:2012年07月27日