ゲオルグ・シュヴァルツ通りは、ライプツィヒの成長とともに19世紀末から20世紀にかけて短期間で開発された全長3kmほどの典型的な「グリュンダーツァイト」の通りである。同時期の他の通りと同様、地上階部分に店舗、上階部分に住居が入った4層共有壁の建物が軒を列ねている。道は郊外のロイチュ村とライプツィヒ西地域の中心部リンデナウを結び、開発当初は商店が賑わう新興地域だった。しかしその後、トラムに加え自動車交通が増えてくると、道幅の狭い通りは交通が飽和し、騒音と交通事故に悩まされるようになった。他にも、歩道が狭いためカフェやレストランが外部空間を使えない、自転車道が整備されていないため非常に危険である、駐車スペースが極端に少ない、緑が少なく人々が憩う空間が欠如しているなど、多くの都市計画的な問題を抱えるよになった。これらの問題が原因で、東ドイツ時代から人口が流出し、空き家が目立つようになった。経済活動も停滞し、賑やかだった商店街は次々に閉店し、日本のシャッター商店街と同様の状態になった。ドイツ統一後は家賃が非常に安いため、低所得者と移民が取り残された。
このような衰退通りにテコ入れするべく、ライプツィヒ市は2011年からの4年間、ザクセン州と連邦政府の助成を受けて「マギストラーレマネージメント」という幹線道路の再生に特化したプロジェクトを行なっている。ライプツィヒでは、ゲオルグ・シュヴァルツ通りとゲオルグ・シューマン通りといういづれも空き家、騒音、緑の欠如といった都市計画的問題を抱えた通りが対象地として選ばれた。ゲオルグ・シュヴァルツ通りのマギストラーレマネージメントは現在7名で運営されており、通りのバリアフリー化、自転車道の整備、緑地空間の計画といった課題に取り組んでいる。また空き家となっている建物の所有者と利用希望者を仲介する事業も行なっている。同時に、通りにはハウスハルテンの扱う物件もあり、マギストラーレマネージメントとハウスハルテンが連携して通りの活性化を目指している。
ここでゲオルグ・シュヴァルツ通りで地域再生に取り組むキーマンの一人である、ダニエラ・ヌス氏を紹介したい。ヌス氏はベルリンの大学で政治学を学んだ後、環境系団体のプロジェクトに参加するためライプツィヒに拠点を移した。学生時代から地域再生に興味を持ち、活動をたちあげたいと考えていた彼女にとって、ライプツィヒは自由に活動できる「間」の空間が点在する魅力的なフィールドだったという。2008年、ゲオルグ・シュヴァルツ通りの入り口にある空き物件を借りた4人のスイス人が、物件をアトリエやギャラリーとして利用しようとしている事を聞きつけた彼女は、他の4人のライプツィヒ在住の仲間と共にスイス人グループと合流し、リンデナウ地区協会のサポートを受けて2009年に「クンツ・シュトフェ」という登記社団(日本のNPOに相当)を立ち上げた。その後この団体をベースに、隣接する数件のコーポラティブハウスや、その中で行われる文化プロジェクトのオーガナイズを行っていった。またそのころからゲオルグ・シュヴァルツ通り全体に関する地域計画にもボランティアで関わっていた彼女は、仲間とともにマギストラーレマネージメントのプロポーザルに応募し選ばれ、2011年から正式にゲオルグ・シュヴァルツ通りのマギストラーレマネージメントを行なっている。現在では「クンツ・シュトッフェ」のオーガナイザーとして時に自らモルタルを塗ったり床板を張ったりと自ら空間づくりを行う一方、マギストラーマネージャーとして行政や通り沿いのアクターと連携し、通り全体のマネージメントを行うという、「二足のわらじ」を履いている。
(大谷 悠)
_