てぶら革命! | 出版プロジェクト | ワークショップ@鳥取 | 全国ツアー | チーム
“「ある(to be)」ということによって私が言及しているのは、人が何も「持つ(to have)」ことなく、なにかを「持とうと渇望する」こともなく、喜びにあふれ、自分の能力を生産的に使用し、世界と「一つになる」存在様式である。”
— エーリッヒ・フロム『生きるということ(TO HAVE OR TO BE?)』, 1976
「てぶら革命」はじめませんか?
— その手で探り、つながり、生み出す、 豊かな場所と生活
皆様、「てぶら革命」のウェブサイトへ、ようこそおいで頂きました。わたしたちはドイツ・ライプツィヒの交流拠点である「日本の家」の活動を通じて繋がった、まちづくりの実践者と芸術家によるグループです。このたび、2017年3月に鳥取にてワークショップを行い、日本各地で交流&講演を行う全国ツアーに出かけ、その後クラウドファンディングであつめた資金をもとにライプツィヒと日本における活動をまとめた書籍『てぶら革命!』を出版します。
学歴、キャリア、カネ、モノ、権力、肩書。なにかと、より多くを「手にいれる」ことに価値がおかれる今の世の中。手に多くのものを持たないことは、将来へのリスクであるとか、なまけものであると言われることが多いでしょう。しかし一方で持つことにこだわるあまり、わたしたちはしばしば「手一杯」になり、ゆとりのない、ギスギスした生活を強いられていないでしょうか。
わたしたちの手は本来、何かを「所有する」ためにあるのではなく、未知なものを探り、人々とつながり、新たなものを生み出すためにあるのです。人々の能力や知識や技術も、それを「持つ」ことに価値があるのではなく、他の人と共有したり交換することで、お互いが活き活きと豊かに暮らしていくためにあります。「てぶら」という言葉で表したいのは、わたしたちの手を、「持つ」というこだわりから自由にして人々とつながり、ともに新たな何かを生み出していく、というイメージなのです。
現在、企業や行政などの大きな組織に属しているわけでも、潤沢な資金や有力なコネがあるわけでも、「金儲け」に興味があるわけでも得意なわけでもなく、それでもいまの世の中で「普通」とされている生き方に疑問をいだいた人々が、日本や海外のまちに寄り集まって試行錯誤しながら、たどたどしくも「てぶら」の状態から場所と生活をつくる挑戦をしています。ライプツィヒから始まったわたしたちの活動も、この文脈の中にあります。
そんな、てぶらだから「こそ」できる、新たな場所と生活づくり。少々大げさかつ手前味噌ですが、わたしたちはこの「てぶら」の可能性に希望を込めて「てぶら革命」と名付けました。「てぶら革命」は国や地域を超え、様々なところで同時多発的に進行しています。皆さんもその手で「てぶら革命」に参加しませんか?
ふらっとした「移住」、どろっとした「場所づくり」
「より多くを”手にする”こと」が良しとされる、日本と欧州という先進国で生まれ育ったわたしたち。多くの人々が飢えで苦しむことも戦争を体験することもなく、モノに溢れて「何不自由なく」育った、にもかかわらず、日常的にストレスに悩まされ、生きづらさを感じ、若くしてうつ病で苦しむ人や、自ら命を絶つ人も後を絶ちません。わたしたちの世代は、カネを稼いでモノを消費をすることや、競争と効率化によって経済的成長を追求することが、必ずしも自分の生活を豊かにするわけではないということ、むしろそれは心を蝕み、人間性を奪っていくこともあるということを身を持って知っているのです。
そんな社会の中で、まず自分たちがきちんと楽しく人間らしく暮らせる拠点をつくりたいという願望を多くの人が共有しています。多様な、立場の異なる人達が自由に出入りでき、語らい、人間関係を育み、時間を共に楽しみ、新たなものを共に生み出し、なにより自分たちの生活の基盤となるような場所。職場や学校、従来の商業施設といった空間とは異なる、こういう名前のない豊かな場所にこそ答えがあると信じているのです。
もちろん「てぶら」の状態から場所づくりは簡単ではありません。「こうすればうまくいく」というロールモデルなど存在しないので、現場でトライアンドエラーを繰り返すしか無く、時間も労力もかかります。日常的に必要なお金をどうするかという問題も避けて通れません。それでも、お金や権威を介さない人間関係や、みんなで共有するモノや空間を自分たちで生み出すことこそが、わたしたちの豊かさにつながるということを、場所づくりの実践の中で体験しているからこそ、この泥臭い挑戦を続けているのです。
一方、わたしたちの暮らしは今や、大都会でも地方都市でも農村でも、以前ほどの格差がなくなっています。地球上のどこにいても誰とでもすぐにつながれ、情報を拡散/収集でき、どこにでも簡単に飛んでいける。情報化とグローバル化のおかげで、自分に合ったまちで暮らすという選択肢が確実に広がっています。綿毛のようにふわふわと、おもむくままに国やまちをめぐり、気に入ったところにふらっと「移住」することが可能となったのです。これは明らかにわたしたちの世代がもつ武器です。
ライプツィヒと鳥取という、まったく接点の無かった2つのまちも、ふらっと移住してきた人々によって「たまたま」つながりました。しかしつながってみると、人口減少によって空き家や空き地といった自分たちが入り込んで場作りができる「空間」があり、それを応援してくれる「地元の人」やそのネットワークに支えられて、若者たちが「てぶら」から「場所づくり」しをている、という共通点があるではありませんか。ふたつのまちは、ドイツと日本の場所づくりの活動の最前線だったのです。これはとても素敵な発見であり、この発見が今回のプロジェクトの出発点となりました。
グローバルにふらっと「移住」し、ローカルに泥臭く「場所づくり」する。「てぶら革命!」はその交点から始まる、わたしたちが共に真に豊かに生きるための革命なのです。
アートとしての「てぶら革命!」
画家が白い紙に絵を描くように、てぶらな状態にはこれから何かを作り出す可能性が眠っています。
空き家や空き地などの何もないと言われる「空間」や、自分は何も持っていないという「人」にこそ可能性が眠っています。
「てぶら革命!」に参加者しているわたしたちは、特別な人ではありません。ただ、そのことになんとなく気付いているだけです。
時代の新旧を問わず、魂の込もったアート作品からは、ハッ!っとさせられることがあります。美術館に並んでいる作品だけでなく、海外や日本の景観の整った街並みや、自然や人の営みがつくりだす風景にインスピレーションを受けた経験がきっとあるでしょう。形に限らず、心が潤うアートは生活のあらゆるところに潜んでいるのです。
一方、昨今いろいろなまちで開催されているアートイベントは、その多くが同時に商業イベントとして行われています。まちおこしのアートイベントでは、有名な作家の作品が並ぶことや集客数、経済効果が価値だと思われていることが多々あります。
しかし、財布が潤う事と心が潤うことは、常にイコールだとは限りません。生活を通して浮かび上がる住民の問題意識と、商業や行政といった大きな力による「問題解決方法」が噛み合っていない現場を、わたしたちは嫌というほど見てきました。端的に言って、わたしたちは問題をお金で解決することに限界を感じています。
わたしたちの暮らしにのっぴきならない状況が差し迫っている今、これからは、それぞれの人の「自分自身の感覚」から考え、行動することがとても大事になっていくのではないかとわたしたちは考えています。そんな人の心が作り出す波を、世の中が求めているはずだ、と。
鳥取には、事故でボディが折れ曲がった車を「オリガミカー」と名付け、あえて大切に乗り続けている青年がいます。廃車同然だと馬鹿にされることもありますが、人々に「ボロボロだから悪いというのはほんとうなのか?」ということを考えるきっかけを作っています。
アートの本質は、有名な作品や作家をありがたがることではなく、「自分自身の感覚」を通した「人と人の心の触れ合い」の中にこそあるのだとわたしたちは考えています。
人は誰しもアーティストであり、鳥取県で出会った青年たちは、立派なアーティストです。
てぶら革命はアートであり、それは人と人を結びつけて話し合い行動するきっかけを作るまちづくりそのものなのです。
今回の活動を通して、そのことを少しだけ証明したり、体験してみたいのです。
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