『てぶら革命!』出版プロジェクト

 

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 てぶら革命!  |  出版プロジェクト  |  ワークショップ@鳥取  |  全国ツアー  |  チーム

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“いま発生しつつあるもの、育ちつつあるものというのは固まっていないから施設化できないけれども、それは広場という場で育っていくわけですね。だからそういう場を用意しておかないと、いま育ちつつあるものを育てることができない。つまり未来にむかっての可能性といったものをつぶす、その芽を摘み取ったことになるわけです。現代の都市はそういうものの余地を残しておこうとしない。現代都市の圧迫感、閉鎖感というのもそういうところに関係があるような気がします。”

— 大谷幸夫『空地(くうち)の思想』, 1979

 

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どんな本?

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書籍『てぶら革命!』は、日本と海外の地方都市で、「てぶら」ながらもまちの人々と関係を築き、空間をつくり、そこに自分たちの生活をつくりだすべく悪戦苦闘してきた「てぶらの張本人」たちが世の中に送り出す、「場所と生活づくりのプロセス」について書かれた本です。「てぶら」の人々が、どんな動機で、何を考えながら、どんな手法で、どうやって活動を維持し、地域からどんな影響を受け/与え、どんな困難を抱え、どんな未来像が見えてきているのかという点に具体的にフォーカスし、文章とビジュアルで具体的に記されています。

「まちづくり」に関する書籍はゴマンとあるものの、「人々がてぶらの状態で場所と生活づくりをはじめるにはどうしたらいいのか?」という視点から書かれた本は今までほとんどありませんでした。特にビジネス、不動産、都市計画、建築などの「プロ」の書く書籍のほとんどは、まちに住む圧倒的多数の「プロでない人々」が具体的にアクションを起こす上で正直あまり有用とは言えませんでした。『てぶら革命』は、まさに「プロでない人々」が自分たちでまちにコトを起こすときのヒントになるような書籍です。また「成功体験」だけでなく、あえて問題や課題、活動の限界もえぐり出します。このことで、以下の方々の参考になるような本にしたいと考えています。

    • 大量生産と大量消費、格差社会、移民と多文化の共生、無縁社会、環境問題などへの疑問と関心をもち、考えるだけでなく自分の手を動かして生活の中で新しいことを実践したいと考えている人々、特に大都会での生活に疑問をいだきながら日々を送っている若者たち
    • 外部からやってきた不動産関係者、アーティスト、建築家、デザーナーなどが地元行政や企業と結託して行われる「まちおこし」や「地方創生」に限界を感じ、真の意味での「住民主体のまちづくり」について考え実践したい人々

 

 

 

どんな内容?

1.ライプツィヒ「日本の家」の5年間の活動から見えてきたこと

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本企画のそもそものきっかけは、ドイツの地方都市ライプツィヒに2011年に誕生した「日本の家」でした。「日本の家」はライプツィヒの中心部にほど近い場所に立地する自由に使える空き家を手にした3人の日本人が、手探りで自分たちのための居場所をてづくりするところから始まりました。人と活動の輪が徐々に広がり、いまでは近隣住民を中心に毎週100人以上の人種も年齢も職業も様々な人々が出会い、憩い、様々なモノやコトが日常的に生み出される「家」に成長しました。

開始から5年が経過したいま、活動の中で見えてきた、「てぶら」の人々が外国で開かれた場所づくりをすることの意義、ノウハウ、楽しさと難しさなどを活動に関わる様々な人々の視点からビジュアルにまとめます。ここでは内容をちらりとご紹介!

「空き家」は「チャンス」だ!

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日本ではいままさに「空き家問題」が取り沙汰されていますが、ライプツィヒというまちも10年ほど前までは「縮小都市」として有名で、いまでも歴史的な経緯によりたくさんの空き家が市内に存在しています。「日本の家」のある地区などでは、2000年代初頭の空き家率が50%ほどにまで達していました。しかし建物を損壊から守るべく立ち上がった団体(ハウスハルテン)が、空き家の所有者と利用希望者を仲介する活動を始めたことに端を発し、アート、文化、子育て、食、移民・難民支援などの様々な目的をもった住民活動が、空き家だった空間をベースにつぎつぎと芽吹いていきました。わたしたち「日本の家」も「ハウスハルテン」のおかげで自由に使える空間を手に入れ、カネもコネもない状態にも関わらず活動を始めることができました。

東ドイツ崩壊以降、衰退していたライプツィヒでしたが、2000年を境に人口が増加し始めており、いまではドイツでもっとも人口増加率の高い都市になりました。特に20代、30代の若者たちが急増しており、ベビーブームが起こっています。住民たちが作り上げてきた文化や社会活動によって地域の魅力が形成されていることが、ライプツィヒを都市として再生した一つの重要な要因になったのです。このように、空き家は「問題」である一方、まちに新たなヒトとコトを呼ぶ「チャンス」であり、住民の活動の重要なベースとなりえることが、ライプツィヒのまちから見えてくるのです。

参考: 「縮小都市」ライプツィヒに学ぶ「使用価値」視点の空き家再生 

「空き家」をみんなの「家」にする

slider00外国人でライプツィヒに縁もゆかりもなかったわたしたちにとって、まず自分たちの生活の基盤となる場所が必要でした。空き家を手に入れたわたしたちはまず、その場所を自分たちが楽しく過ごせる「自分の家」のような空間にしていきました。それが活動を続けていく中で、わたしたちを支えてくれる友人や知人たちが頻繁に訪れるようになり、さらに人の輪が大きくなって地域の人々やライプツィヒ以外からも人が訪れる、「みんなの家」になっていきました。

ですから「日本の家」にある人間関係は、商業施設のようなお客さんとお店の関係でも、会社のような雇い雇われるという関係でもありません。一緒に作業したり、ご飯を食べたり、語り合う中で仲良くなり、そのつながりと助け合いによって「日本の家」という場所が維持されているのです。これは狙ってこうなったというよりも、自然な成り行きで、場所が作られていった例でしょう。

立ち上げのときにつくった「日本の家」のロゴは、二人の人が寝転がってリラックスしています。これはわたしたちにとっても、訪れる人にとっても、ここが日常の延長である「家」でありたいということ示しているのです。

つくる、たべる、つながる

vokue-02「日本の家」では毎週2回、「ごはんのかい」を行っています。寄り集まって、ごはんを作って一緒に食べる。原理はそれだけのことです。2014年に始まり、いまでは週に計100人ほどの人々があつまるようになりました。大切にしていることは、国籍、宗教、経済状態、言語能力などにかかわらず、まちに住むすべての人に開かれた会にするという点です。ごはんには定価を設定せず、払える人が払えるだけ寄付をすることで会が運営されており、宗教や信条によらずごはんを楽しめるよう、肉や魚などの動物性の食材を使わない料理(ビーガン)を提供しています。

野菜を切るところから近所に住む様々な国からきた人々に関わってもらいます。まちに引っ越してきたばかりで友達が居ない人や、外国人で言葉がまだ不自由な人でも、一緒に料理をしているうちにほかの人達と仲良くなり、繋がりができます。これまでに、ヨーロッパ、アフリカ、中東、東アジアなど世界各国の料理をその国の人達と一緒に作ってきました。

お手伝いしてくれた人にはごはんと飲み物を無償で提供しているので、近所の子どもたちや経済的に厳しい状況に置かれている人も関わりやすくなっています。特に最近では難民の人々がごはんのかいを手伝い、時には率先して自国の料理を作っています。普段はドイツへ来た「お客さん」として扱われる彼らも、ごはんのかいでは「主人」となってお客さんをもてなします。100人以上の人々に料理を振る舞うのは大変ですが、自国の文化を紹介する機会になり、みなとても熱心に腕をふるいます。「おなじ釜の飯を食う」とはよく言ったもので、ごはんを一緒につくり、一緒にたべるというとても単純なことで、立場や言語の壁を超えて人々がつながっていくのです。

参考:ライプツィヒの「空き家」と「日本の家」*

場所を「ひらく」面白さと難しさ

‚Ü‚ñ‚ª「すべての人に開かれている場所」ということが、「日本の家」を運営していく中で大切にしていることの一つです。入場料や会費をとらず、すべてのイベントを寄付金ベースで行っているので、人種、宗教、国籍、社会的階層、年齢も様々な人々が訪れ、料理や食事を楽しんだり、展覧会やコンサートを鑑賞したり、シンポジウムやワークショップに参加できています。毎回新しい人々が訪れ、予想外の出会いが生まれるという刺激的に富んでいる一方、単に「タダ飯」を食べに来る人や、アルコールや薬物によって酩酊している人、ハラスメントや盗難、時には暴力といった問題行動を起こす人も訪れます。

「日本の家」の面する「アイゼンバーン通り」は、ドラッグの問題やギャングの抗争などがよくメディアで取り沙汰されている通りです。住民に占める非ドイツ人の割合は4割ほどで、貧困の問題も深刻です。そんななか、「日本の家」は行政によって管理された公共空間ではなく、税金で運営されている福祉施設でもありません。開かれた場所でありたいというのはあくまでわたしたちの意志に基づくものなので、問題が起こったとき、どんな線引をし、いかに対応するかということもわたしたち自身の判断になります。「すべての人に開かれた場所」というのは簡単に聞こえますが、実際にはこの難しい舵取りを常に行っていなくてはならないというストレスに常に晒されてソワソワしているのです。

それでも、わたしたちが場所を開きたいと思うのは、そのほうが「楽しいから」という点に尽きます。例えば、普段は酔っぱらいのおじさんでも、毎回くるうちにその人の素敵な面や以外な面が見えることがあります。あるいは孤独や問題を抱えている人がきて、「この場所があってよかった」と言ってすこし心をひらいて話してくれることがあります。出来事としては些細なことかもしれませんが、わたしたちが場所を開くのはそういう瞬間が起こる場所を維持していきたいからなのです。

参考:「日本の家」に集う人たちへのインタビュー 

日本人という「外国人」として

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大体「日本の家」というと、「日本文化の発信拠点」という理解をされます。それも外れてはいないのですが、わたしたちは誰も和食や茶道のプロでも、日本舞踊や武道ができるわけでも、漫画やアニメに特に詳しいわけでもなく、そういう意味での「日本」に関してははっきり言って素人です。このような「典型的な日本文化」を期待して「日本の家」に来る人は、肩透かしを食らっていることでしょう。

だからといって「日本の家」において「日本」が何の役割も果たしていないのかというとそうではありません。「日本の家」が日本人という(ドイツから見ると遠いところからきた)「外国人」たちによって運営されていることが明示されていることで、ドイツ人だけでなく他の国や地域から来ている他の「外国人」たちにとっても立ち寄りやすい、敷居が低い空間になっているのです。出身地別でみると、これまでに合計70ヶ国以上の国々から「日本の家」に人々が訪れていることが、そのことを象徴しています。これは国は違えどドイツのなかでは同じ「外国人」であるという親近感と、「日本」の持っている平和的なイメージが関係しているのです。

一方で「日本の家」は地域のまちづくり拠点として、行政をはじめドイツ社会ともつながっています。欧州における「日本」というニュートラルなイメージを「活用」することで、「日本の家」は移民・難民を含む外国人たちとドイツ社会を繋ぐという役割を担っているのです。

参考:「日本の家」に集う人たちへのインタビュー 

「草の根」のネットワークづくり

ws2015_title-sl「日本の家」では2012年から毎年夏に、日本から研究者、建築家、アーティスト、学生をライプツィヒに招き、ライプツィヒの都市や市民活動のリサーチや空間的提案・実践を行う「都市の『間』」ワークショップを行ってきました。2014年には「日本の家」として初めて日本で福岡・小倉のリノベーションスクールに参加し、「風雲!小倉城 」という子どもを対象とした空間体験イベントを行いました。これらのワークショップはどれも「行政や巨大資本が先導するのではなく、住民たちが自らのアイディアで自らの手を動かしてまちの課題に取り組んでいく」というボトムアップ型のまちづくりの実践とノウハウの共有を目指しています。

2015年からは行政やライプツィヒの他の市民団体とも協働しつつ、毎年秋にライプツィヒ東地域で「フリースペース・フェスティバル」の主催を担っています。現在ライプツィヒでは人口の急増によって不動産投機が行われ、家賃が高騰することで、経済的に余裕のない人々や非営利目的の活動が地域から追い出されてしまう、いわゆる「ジェントリフィケーション」が始まっています。「日本の家」を始め、営利目的でない住民による活動も大きな影響を受けます。このような状況の中、社会的階層も国籍も様々なな人々の居場所としての「フリースペース」をどうやって「住民の手で」維持していくのか、これが「フリースペース・フェスティバル」の重要なテーマです。

このように、ライプツィヒを拠点としつつ、日本国内を始めとした他の都市のローカルな実践をグローバルに繋ぎ、草の根の活動たちがお互いに学び合い刺激し合うプラットフォームを作っていきます。

参考:「公共空間」で「あそぶ」— 小倉城を攻め落とした話 * 

 

2.鳥取の活動達とライプツィヒとの現場同士の交流

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鳥取は日本の「てぶら革命最前線」。日本で一番人口の少ない県において、多くの移住した若者たちが「てぶら」の状態からアート、本屋、農業、宿など様々な分野における活動を四苦八苦しながら繰り広げています。昔から住む地元の人々と若者たちの間に絶妙な関係性が生まれていて、老若男女の垣根を超えてまちを盛り上げている点も大変魅力的です。今回は人口4000人弱の元城下町の鹿野と、人口1200人ほどの(元)温泉街の松崎にスポットを当てます。

2017年3月、ライプツィヒ「日本の家」の活動の中で生まれた鳥取の各まちの人と場所とのつながりをもとに、国籍も生業も様々な「日本の家」のメンバーたちが鳥取に押しかけ、現場で場所づくりしている人々と交流し、共にものづくりや食に関するワークショップ「てぶら革命2017@鳥取」を行います。その後、ワークショップの成果報告と、キーパーソンへのインタビュー、対談、そして実際の共同作業を通じて、ライプツィヒと鳥取の活動で共通する「場所と生活づくりの課題と可能性」について現場から見えてくることを冊子に記録していきます。

参考:まちを安売りしない ─ 鳥取県鹿野町に学ぶ、人口減少時代のまちの受け継ぎ方 †
参考:「尖った若者」が集まる、人口1200人のまち ─ 鳥取県湯梨浜町松崎 †

3.てぶら革命を起こす具体的な方法論

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ライプツィヒと鳥取という、一見なんの関わりも共通性もなさそうな2つのまち。しかしその現場はともに、「そこに住む人々が生活と場所を自分たちの手で生み出し、ネットワークを形成しながら活動している」という共通点があります。ここには「てぶら革命」を起こすためのヒントがたくさん隠されているのです。

    1.  てぶらでもいい。不器用でもいい。自分の生活に疑問を持つなら、まず何か始める。
    2.  一人でやろうとしてはいけない。仲間を探す。得意を補い合う。甘えられる人には甘える。
    3.  活動のための空間を探す。チャンスは地方にも。そのまちの「遺産」に注目。
    4.  背伸びせず、自分たちが心地よいと思える場所をまず小さく始める。
    5.  場所を他の人にひらく。他のジャンルの人と交流することで世界が広がる。
    6.  広がったネットワークで世の中をちょっと変えるムーブメントを起こす!(てぶら革命!)

参考:予算なし、空腹から生まれる創造性「ハングリー・クリエイティビティ」 †
参考: 現代都市のアジールと「あそび」 *

 *Art Bridge Institute “Bridge Story” /  † 日経BP”小さな組織の未来学”

 

 

どんなデザイン?

文章だけでなく、写真やイラスト、漫画などがふんだんに盛り込まれた、現場の空気感が伝わってくるようなビジュアルブックにします。特に分析やアイディアをビジュアル化することで直感的にわかりやすく。デザインテーマは「コラージュ」。場所ごと、書き手ごと、アーティストごとに様々な視点が異なるデザインとして表現されつつも、本を貫くテーマが全体を通じて立ち現れてくるようにします。

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Miya Hiroによる「日本の家」の漫画

 

 

 

スケジュール

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2016年

12月:コンセプトメイキング

2017年

1月:準備期間

2月:準備期間

3月:鳥取でワークショップ

4月〜8月:クラウドファンディング&本作り

9月:鹿野芸術祭で本をお披露目

 

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クラウドファンディング

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出版のためのクラウドファンディングを2017年春以降に予定しております。

皆様のご協力をお願い致します!!

(クラウドファンディングの設定予定)

¥3,000:本

¥5,000:本とトートバッグ

¥10,000:本とトートバッグ、参加作家の作品から一つ

¥30,000:本とトートバッグ、参加作家の作品から一つ、鹿野とライプツィヒの名産品

¥50,000:本とトートバッグ、参加作家の作品コレクション、鹿野とライプツィヒの名産品

 

 

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